小幡 昇 様

コンピューターサイエンスを学ぶため、レンセラー工科大学へ

株式会社 日立製作所
ICT 事業統括本部
サービスプラットフォーム事業本部
デジタルソリューション推進本部
デジタルソリューションビジネス推進部
主任技師
小幡昇様 インタビュー

◇経歴
1992年3月東京都立西高等学校卒業
1992年4月早稲田大学機械工学科入学
1996年4月日本コントロールシステム(株)入社/2001年3月退職
2001年9月Rensselaer Polytechnic Institute (RPI) Master Program留学
2003年5月同学科卒業(Master of Computer Science取得)
2003年7月(株)日立製作所ソフトウェア事業部入社

留学の動機 一度社会人経験をしてから留学を決めた原動力になったのは?

会議室にて

当時新しく生まれた「オープンソース」について学びたいと考えたからです。

1990年代、私がソフトウェア開発会社に入社した当時は、システムを開発するためには、メーカーが独占提供する、高価なソフトウェアを利用することが一般的でした。

そこへ、新しく「オープンソース」という考え方が現れました。これは、ソフトウェアの設計図(ソースコード)を無償で公開(オープン)し、世界中の優れた開発者の力でより優れたものに改善していくというものです。

当時の「オープンソース」のソフトウェアは、まだ発展途上でした。しかし私は、将来「オープンソース」が、広く普及すると考えました。なぜなら、世界中の優れた開発者が改良を重ねた方が、より良いものができるからです。
勤務先のソフトウェア開発会社で、「オープンソース」の導入を働きかけたりするなど、「オープンソース」とのかかわりを徐々に深めておりました。しかし、やがて、「さらに深く探求し、開発そのものにも参加したい」との思いが募っていきました。

両親と相談したところ、「海外の大学に留学して、コンピューターサイエンスを学ぶ」という道もあると選択肢を示してくれました。

今の会社で、そのまま勤務を続けることも考えられましたが、将来を考えると、この時期に勉強しておくことが、より社会で活躍できることにつながるのではないかと考えました。

両親も、海外留学について背中を押してくれました。そこで、思い切って「会社を退職して米国に渡り、英語力を磨き、海外の大学でコンピューターサイエンスについて深く勉強する」ことを決意しました。

留学中の専攻や学んだ内容

2003年5月の卒業式。Master of Computer Science(コンピューター科学の修士)を取得。

アメリカのニューヨーク州にある、Rensselaer Polytechnic Institute(レンセラー工科大学)で、Master of Computer Science(コンピューター科学の修士)を専攻しました。

内容は、コンピューターの仕組みやソフトウェア、ネットワークなどの基礎的なことから、オープンソースを含む最新の潮流までです。

アメリカ、インド、中国、韓国など、様々な国から来た学生と、議論をしながら学びました。

今の仕事に活かされていることがあればぜひ教えてください

米国の関係者との勉強会

日本に帰国してから、株式会社日立製作所に中途入社しました。

株式会社日立製作所では、当時はまだ発展途上だった「オープンソース」のソフトウェアを、銀行の基幹システムなど、高い信頼性を求められる分野に利用できるように改良するプロジェクトに携わりました。

当時の「オープンソース」のシステム開発には、様々な困難と苦労がありました。その都度、米国の中心的な技術者達と議論しながら、改良を進めていきました。

現在では、「オープンソース」の信頼性は飛躍的に高まっています。「オープンソース」のシステムが、銀行の基幹システムに採用されることは、珍しいことではなくなりました。

英語力や費用面の不安はありませんでしたか?

両親の仕事の関係で、2歳から5歳まで、米国で暮らしていましたので、英語力に関しての下地はあったと思います。また、2001年5月に渡米し、9月の大学入学までの間に、3ヶ月間語学学校に通い、TOEFLの点数を高めるために、集中的に特訓しました。

費用については、自分では全額出せなかったので、両親の協力を相当に得ました。この点について、両親には非常に感謝しています。

留学を通して得られたこと

Rensselaer Polytechnic Instituteでは、中国、韓国、インドなどアジアから来た留学生に囲まれ、まさに多様性を学びました。

価値観が異なり、腹を立てることもありましたが、自分のやり方にこだわることはやめました。少しのことでは動じなくなり、心が開く経験でした。

それは、今も、海外の人と仕事をする上で役立っています。

日本の大学と海外の大学、両方を経験したからこそわかるそれぞれの大学のよさ

2001年12月、奥様と。結婚してから留学しました

日本の大学に通っていたときは、衣食住が整っている安心した条件の中、仲間との交流や、アルバイト等といった社会勉強を楽しむことができました。

一方で海外の大学留学は、まさに「サバイバル」でした。

言葉が不自由な上、衣食住もゼロからです。大学の寮に入ったのですが、初日に行ったら、部屋にはベッドしかなかったので、シーツを買いに行くところから始めました。

出される課題は膨大です。それをやり遂げるために、必死で過ごしていました。今から振り返ると、密度の濃い、大変な大学時代でした。

留学を通して感じたこれからのグローバル時代に必要な力

人口の多い中国、インドなどアジアの国々から来た人たちは、激しい競争を勝ち抜いて留学のチャンスを得ているので、非常に優秀です。

彼らは海外留学で、最先端の技術をどんどん吸収していきます。そして、自国で活発にビジネス展開をしています。

そうした状況を目の当たりにしていると、日本はややのんびりしていると感じます。

そして、近い将来、中国、インドなどアジア人の「上司」のもとで日本人が働くことも、珍しくなくなるだろうと感じています。

それに備えて、今、高校生の皆さんは、どう準備しておくべきか。

今のうちに、外国語を学び、海外の文化を知り、優秀な彼らに負けない知力、気力を身に付けておくことが、非常に大切だと思います。

一度きりの大学生の時期を、日本でゆっくり過ごすのも良いです。

しかし、思い切って海外に飛び出して、世界各国からの学生と交わることは、人生にとって、大きなプラスになると思います。

多額の費用もかかりますので、一度御両親と相談してみてはいかがでしょうか。

今は奨学金の制度などもだいぶ整ってきていると聞きます。そうした制度について調べてみてもよいかもしれません。

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